大野ロベルトさんの連載評論 『『無名草子』の内と外―読み、呼び、詠み、喚ぶ― (第002回)』 をアップしましたぁ。いよいよ本論が始まりましたね。今回は主要な語り手の老尼が登場します。老尼といってもただのお婆さんではありませんよ。そうとうに高貴なお方です。老尼の言葉に 〝鏡の影〟 という言葉があるようですが、鎌倉時代初期に自分用の鏡を持っていた女性は全人口の数パーセントしかいなかったでしょうね。出家して仏門に入ること自体、一つの社会的ステータスであった時代です。
大野さんは 『無名草子』 の 〝間テクスト性〟 を論じておられます。詳細はコンテンツをお読みいただければと思いますが、基本的にポスト・モダン思想です。鎌倉初期のテキストにそれを確認できるのは面白いですねぇ。間テクスト性は鏡の迷宮にも喩えることができそうですが、さて、鏡に映る映像の実体はどこにあるのでしょう (笑)。江戸期までの日本人は簡単に答えられたと思いますが、僕らには難問になってしまっていますね。
そんで大野さんのコンテンツ、まだ一回掲載しただけですが、ここ一ヵ月、ずっと高いアクセス数を保っています。こりは新しい読者の方が、ひっきりなしに大野さんのコンテンツを読みに来ていることを意味します。アクセス数はコンテンツアップ後に徐々に下がっていくのが普通ですが、こりはめずらしい。もしかして石川が大野さんはイケメンだと書いたせいかなっ。みなさん文字の背後にイケメンの幻を見ているのかなっ。女性ファンが多いのかなっ。うらやましいですぅ~ (爆)。
■ 大野露井 連載評論 『『無名草子』の内と外―読み、呼び、詠み、喚ぶ― (第002回)』 ■