後藤弘毅さんの映画批評 『No.035 『シャッターアイランド』―赤狩りの恐怖と声の銃弾』 をアップしましたぁ。マーティン・スコセッシ監督、レオナルド・デカプリオさん主演映画ですが、不肖・石川が見たら、漠然としたサイコスリラーと受け取りかねないですねぇ。それを後藤さんは、アメリカの1950年代の赤狩り映画と読み解いておられます。
アメリカって面白い国ですよねぇ。禁酒法や赤狩りなんかが典型的ですが、極端から極端に揺れ動くことがあります。『シャッターアイランド』 でも 『モンスターとして生きるか、善人として死ぬか』 (Which would be worse, to live as a monster or to die as a good man) というセリフがあるようですが、二者択一的な思考が根底にあるからかもしれません。もちろんイギリス的功利主義(合理主義)の伝統を引き継いでいるわけですが、この考え方、とても有効だと思います。
日本人は二者択一的選択を嫌い、最初から灰色を設定する傾向があります。フランスやドイツなどにもそういう思考方法があります。しかしイギリス・アメリカ的な合理主義は、どっちつかずのジレンマを突き破って先に進む強力な役割を世界的に果たしてきたと思います。もやもやとした日本やフランス文学を読み慣れたあとにアメリカ文学を読むと、その明快さにハッとさせられることが多いです。
ただそれはアメリカが単純だということを意味しているわけではありません。アメリカは問題の入口を二者択一的に単純化する傾向がありますが、内実はやはりとても複雑です。後藤さんはそれを 『シャッターアイランド』 の映像表現から読み解いておられます。『シャッターアイランド』は奥深い映画なのでありますぅ。
■ 後藤弘毅 連載映画批評 『No.035 『シャッターアイランド』―赤狩りの恐怖と声の銃弾』 ■