釈照太さんの詩誌時評 『No.010 角川 『俳句』 2013年01月号』 をアップしましたぁ。季語についての特集を取り上げておられます。季語って簡単そうで難しいですよねぇ。江戸時代までの季語は当然旧暦なわけで、維新以降の新暦になると現実の風物と誤差が生じてしまいます。それに新しい季節風物は次々生まれているわけで、それを季語として一般的に認知していいのかという問題もあります。
俳句の世界にどっぷり漬かっている方には実感がないでしょうが、季語のような〝決まりごと〟を巡ってこれだけ大論争になるのは俳句界だけでしょうね。それを見ても俳句という芸術にとって、いかに形式が重要なのかがよくわかります。俳句ジャーナリズムでは季語の次は575定型、それから切れ字と、次々に俳句の形式を巡る問題が提起されます。こういう文学ジャンルは俳句だけだと言っていいと思います。
どの文学ジャンルでも、その道のプロになるのが一番大切ですが、それには自己が関わるジャンルを相対化して見ることも必要だと思います。俳句は〝俳句形式〟の問題を中心に抱えていますが、それに内向するとほとんどが技術論になってしまいます。なぜ〝俳句形式〟なのかそのものを考えることも、時には必要だと思うわけです。
■ 釈照太 詩誌時評 『No.010 角川 『俳句』 2013年01月号』 ■