池田浩さんの文芸誌時評 『No.004 文藝 2012 年 11 月号(冬号)』 をアップしましたぁ。高橋源一郎さんの〝言語〟についての連載を取り上げておられます。源一郎さんっていい作家さんですねぇ。不肖・石川、けっこう源一郎さんの作品を読ませていただいております。真面目なんですが、ユーモア感覚に溢れた作家さんであります。
源一郎ファンの方には説明するまでもないのですが、源一郎さんは『さよなら、ギャングたち』でデビューされまして、このあたりの時期は実験的な作家さんかな、といふ印象がありました。しかしそれがじょじょに変わってくるんですね。フツーの小説のセオリーを無視した作品が多いといふ意味では実験的なんですが、じょじょに古典へと興味を移してこられます。『日本文学盛衰史』なんかそうですね。
簡単すぎるまとめかもしれませんが、高橋さんは〝日本文学史〟モノでずっと〝父親の不在〟を描いておられるような気がします。日本文学には〝父〟と呼べるような作品はなくなってしまったといふことですね。その状況を現代として捉えておられるようです。
それが正しい判断なのかどうか、不肖・石川にはまだよくわかりません。しかし現代の状況の一面を捉えておられることも確かです。ただ〝日本文学史〟といふ制約のせいでしょうか、源一郎さんの視線がちょいと内向きになっているような気がしなひでもないです。文壇内輪話のようなギャグがちょいと多いやうな(ああっ、すいませんっ!)。でも源一郎さん、大好きですぅ。
■ 池田浩 文芸誌時評 『No.004 文藝 2012 年 11 月号(冬号)』 ■