池田浩さんの文芸誌時評 『No.004 小説すばる 2012年08月号』 をアップしましたぁ。『桐島、部活やめるってよ』 について触れておられます。映画化され、そのクオリティが高く評価された映画です。詳しくは明後日8/23日公開の、後藤弘毅さんの 『映画時評』-『映画の表現型-あるいは映画批評の探検-』 をちぇきらっ!。
で、池田さんは、『桐島、部活やめるってよ』 について、ちょこっとだけ批判的なやうです (笑)。あ、映画の出来についてではありませんよ。あくまで文学作品としての問題点であります。
池田さんが書いておられるように、学生時代っていうのは、たいていの人にとって退屈な時間です。その退屈さをまぎわらすために、子供は事件を起こすわけです。結果として大事件になってしまうこともありますが、たいていはすぐに忘れ去られてしまう事件です。
そんな誰もが経験した退屈な日常を表現するのが、日本映画は得意なのかもしれません。小津安二郎の時代からそうだったと言えなくはない。最近の日本映画は、ハリウッドをお手本にすることから、過去の日本映画の原点に回帰しているとも言えます。しかし絵の具の使い方がうまいだけでは傑作は生まれないわけです。エッセイイズム的日本映画表現に、「現代」というプラスアルファが加味されていなければなりません。
映画は原点回帰することで、活路を見出したと言えるわけですが、文学はどうでしょう。文学作品は映画シナリオのために書かれたわけではありません。タイトルだけでなにかがわかってしまったような気になる小説は、問題じゃないか。その問題はどこにあるのか、ということを、池田さんは論じておられるようです。