後藤弘毅さんの連載映画批評 『映画の表現型-あるいは、映画批評の探検-』 の総評と第1回 『No.001 『ヒア アフター』 ―死で結ばれた絆』 の2本をアップしましたぁ。前にもちょっと書きましたが、映画批評は書きやすいコンテンツだと思っていたのですが、なかなか執筆陣が見つかりませんでした。紙媒体だけでなく、Web上にも映画批評(感想文を含めて)は溢れているので、独自の切り口を用意しないと批評として成り立ちにくいという事情があったようです。
総論で書いておられますが、後藤さんの映画批評は 「映画作品における映像や音響、主題や脚本、俳優のパフォーマンス性など、映画における多種多様な表現に焦点を置き、それらがいかなる構造を持っているかを多彩な分析で評価」 するものです。それは 「観客を感動させ、興奮させ、恐怖させた 「映画表現」 という幻想への飽くなき探究であり、WEB映画批評のささやかな探検」 だと結論付けておられます。
第1回目はクリント・イーストウッド監督の 『ヒア アフター』 であります。僕なんかの世代にとっては、イーストウッドさんは 『夕陽のガンマン』 や、『ダーティハリー』 シリーズのキャラハン刑事の印象が強かったです。今では信じられないですが、若い頃のイーストウッドは肉体派アクション (アンチ) ヒーローだったのですね。だから監督もやることは知っていましたがそんなに注目していませんでした。んんっ、これはすごいかも、と思ったのは、1985年公開の 『ペイルライダー』 からですねぇ。あれはひっくり返るくらい驚いた。
イーストウッドは 『ペイルライダー』 や 『許されざる者』 で、『ゴッドファーザー』 のコッポラと同様に、古き良きアメリカ、強く優しい父のいないアメリカ、つまりアメリカの没落を描いていくわけですが、そのいっぽうで 「死」 を映画の主題にしてきたように思います。『ヒア アフター』 もそのような系譜のイーストウッド作品のようであります。
後藤さんの 「この執拗なまでの〝手〟の描写は、ジョージやマリーの人間関係におけるコネクト (つながったこと) を表現し、孤独という呪いから解放されたことを暗喩していると言って良いだろう」 という記述は、何か映画を見たような気にさせますねぇ。映画って、やっぱり絵だよなぁと思います。でも 「イーストウッドのかすれ声は、もはやどのような映画音楽よりも観る者の心情を激しく押しつぶしてくれる」 のであります。やっぱり 『ヒア アフター』、ちゃんと見なくちゃだわ (笑)。
後藤さんの映画批評は、月4回更新の予定です。おおむね水曜日か木曜日ごとのアップを予定しています。金魚屋執筆時の中では最高の執筆スピードで頼もしい限りです。みなさんお楽しみにっ!。