池田浩さんの文芸誌時評 『No.003 すばる 2012年6月号』 をアップしましたぁ。総論で金魚さん(齋藤都代表)が書いておられるように、『すばる』 が 「純文学雑誌だということは少なくとも、文學界と同じ意味ではない」、「すばるは、その純文学作家たちの、むしろエンタテイメント的な面を見せようとしているかのようだ。彼ら、彼女らに別の側面からライトを当てて、親しみやすい魅力を引き出している」雑誌であります。
池田さんは時評で椎名誠さんの連載小説 『かいじゅうたちがやってきた』 を取り上げておられます。「エッセイか小説か、判断に迷うような書き方を、たぶん意図的に選択されている」 小説です。主人公は子供たちですが、「子供というのはやること為すこと支離滅裂なもので、したがって陳腐化された行為のコードを壊す動物」だという側面を、意識的にクローズアップした作品です。
つまり 『かいじゅうたちがやってきた』 は日本の純文学的系譜の作品とも捉えられますが、「最終回は、何のオチもなく終わる」。しかし主人公が 「 「子供」 である以上は、いつでも次の物語が発生する契機になり得る」 わけです。このあたりに純文学文芸誌 『すばる』 と、流行作家・椎名誠さんが折り合うポイントがあるのでしょうね。
金魚屋の文芸誌時評を読んでいただいている方には、おぼろでもおわかりだと思いますが、どの文芸誌にも特徴があります。雑誌ごとのカルチャーがあると言ってもいい。純文学系文芸誌の特徴はかなりはっきりしていますが、大衆文学誌はちょっと曖昧です。しかし著者や作品の傾向を分析していけば、それもじょじょに明らかになっていくでしょうね。
小さいながら文学金魚 (金魚屋) にも特徴はあるわけで、何度か書かせていただきましたが、それは 「文学総合主義」 と 「文学原理主義」 の2大方針です。文学をジャンル別にではなく総合的に捉え、各ジャンルの原理を探究するという姿勢です。文芸誌時評もそのための試みの一つです。新人賞などに応募される皆さんのために各雑誌の傾向と対策を分析しているわけではなく、各雑誌の特徴から見えてくる文学の問題を明らかにしようと考えているわけです。
ただまあ、文学金魚でもそろそろ理論的なコンテンツも増やしていかなければなりませんね。夏頃から少しハードコアな評論も連載できるように考えていこうと思います。金魚屋の性格上、小説理論などに特定したものではなく、俳句や自由詩を含めたものになると思いますが、皆様よろしくお願いしますですぅ。