山本俊則さんの美術展時評『No.012 南蛮美術の光と影』をアップしましたぁ。前回の時評『村山知義の宇宙』は怒りの鉄拳的な内容でしたが、今回は教育的といふか、啓蒙的な内容であります。南蛮美術、聞いたことがあるようなないような。でも面白い物が残っているんですねぇ。不肖・石川は南蛮美術についても初めて知りました。桃山時代から江戸初期にかけて、キリスト教が御禁制になる前の約半世紀ほどの間に作られた美術品だそうです。
どの世界もそうですが、学問的になると、いろんな分類があるんですね。南蛮美術についても「初期洋風画」、「南蛮美術」、「キリスト教関係工芸品」、「キリシタン関係遺品」という区分があるようです。まあ僕のような門外漢には、こういうところから説明してもらわないと、ちんぷんかんぷんの世界であります。ただ図版掲載されている『泰西王侯騎馬図屏風』は迫力があるなぁ。これが桃山時代に日本人が描いた絵だとはちょっと信じられない。すんごい熱意と技術があったんだろうと思います。
江戸時代までのキリスト教というと、どうしても天草四郎的な、時代劇的隠れキリシタンを思い浮かべてしまいます。真っ先に思い浮かぶのは踏み絵ですねぇ。しかし権力に近いところに残された美術品はレベルが違うようです。ただ御禁制になったので、そのほとんどが伝来の由来がわからなくなっているようです。権力の力って怖いなぁと思いますし、それでも残ってきた物はやっぱすごいんだろうなぁとも感じます。
山本さんにお聞きしたんですが、鎌倉の円覚寺に、イエズス会が使用した、聖餅を入れるための日本製の螺鈿の小箱が残っているそうです。ミサの時に、信者さんの口に入れる薄いパンを入れておくための器です。これ、昭和になってから発見されたようです。別の件で円覚寺で調査があった時に、お寺の方が「こんなものがあるんです、価値があるんでしょうか」と言って持ってこられた物だそうです。今では重要文化財だとか。
一つの仮説だそうですが、大坂夏の陣で豊臣家が滅亡する時に、秀頼と結婚していた家康の娘の千姫が落城前に大坂城を脱出します。千姫は東海道を通って江戸に向かいますが、その途中に円覚寺に滞在したようです。円覚寺に残されているイエズス会の小箱は、この時に千姫の側近で位の高いお女中がお寺に託したのではないかという説があるようです。徳川さんがキリスト教禁制に傾いていたから、持っているのは危ないと思われたんでしょうね。こういう話を聞くと、あまり歴史に詳しくない僕でも遠い目になってしまひますねぇ。大坂夏の陣、秀頼、千姫、イエズス会・・・と、なにか時代小説を読んだ時のような気分になってしまふのでしたぁ。