緑川信夫さんの連載エセー『難解映画を読み解く』の第2回、アンドレイ・タルコフスキー監督作品『『鏡』 その2』をアップしましたぁ。ちょい予定が変わりまして、2日遅れのアップです。緑川さん恐縮でした。文句は4月末日にヘッドスライディングされた鶴山さんまでど~ぞ(笑)。
で、久しぶりの映画批評のアップであります。映画評とかテレビ批評は、当初はもっと簡単に著者の方をアサインできると思っていたのですが、意外と難しいようです。ここ10年くらいで、文学界では批評がスーッと低調になっていきましたが、映画・テレビ批評、書評などにも同様ことが言えます。原因は同じなんですが。
いや、一般誌などではあいかわらず映画・テレビ批評、書評は盛んなんですよ。でも簡単に言えば、映画・テレビ批評、書評などは、ちょっと文章力があれば誰でも書ける。特にその作家の大ファンであれば、プロよりも鋭い場合もあるわけです。従来は表に出てこなかったそういう言葉が、ネットの普及とともに大量に出現することになりました。前よりも活発な批評が飛び交っていて、それは確かに一つの創作物に対する複眼的な批評を生み出しましたが、一方で「批評のプロってなに?」という問題を突きつけることにもなりました。ネットの言葉が既存のプロ批評家のテリトリーを脅かしているという現象があります。
そのためメディアに掲載される映画・テレビ批評、書評は、各ジャンルで名をなしている作家か、批評を専門に行っていて、メディア編集部が使いやすい安定したライターが請け負うようになりました。でも読者はそういう批評の言葉を読みはしても、それほど信頼しなくなっています。他にも判断基準となる批評がたくさんあるからです。逆に言えば、映画・テレビ批評、書評を書く作家は、従来よりも高いハードルを超えなくてはならなくなっていると言えます。
どう映画・テレビ批評、書評を書くのか。それを緑川さんは1本の映画を詳細に読み解くという方法でクリアされているわけです。どんなメディアにも掲載基準があります。金魚屋の基本思想は文学総合主義と原理主義ですから、とりあえず器用に原稿を書き上げる作家さんではなく、迷っても苦しんでも、じっと考え続けている作家さんの作品を求めています。でもそういう作家さん、なかなかいらっしゃらないので、ちょっと苦労してるわけですけど(笑)。
あ、次回の『Interview of Gold Fishes』のインタビューイーさんがもうすぐ決まりそうです。決まりしだい、ブログでご報告申し上げますですぅ~。