* 英国の募兵ポスター(1914年、左)と米国の募兵ポスター(1917年、右)
連載の第四回で、筆者は老尼の消失について述べた。そして、あるいは女房たちの繰り広げる議論は、老尼が狸寝入りの状態で記録したことにより読者の手に届けられたのかもしれない、という推測をしておいた。『無名草子』の最後は、再びこの謎に焦点を当てるものとなっている。
最初の兆候は、女性論も盛りの頃、一同の話題が紫式部に及ぼうとするときに現れる。以下に引用しよう。
さまざま、心のほど見えて、いとをかしく聞きどころあるに、目も覚めて、つくづくと聞き臥しはべるに、いみじくさしいらへもせまほしきこと多かれど、よしなければ、身じろぎだにせで、そら寝をしてはべるに……
大意は、次のようになる。「女房たちそれぞれの有様がわかり、非常に興味を惹かれる話題なので、目も覚めて、聞き耳を立てながら横になっていますと、口を出したいようなこともありますが、それも詮ないことなので、身動きひとつせずに寝たふりをしていますと……」この、女房たちの議論に夢中になっていれば見落としかねないほどの短い文章において、長らく姿を見せなかった老尼はとつぜん浮上したかと思うと、またすぐに消え失せてしまうのである。
いったい、これはどういうことであろうか。『無名草子』は、ごく簡単に言えば、老尼による一人称の語りになるテクストである。しかしすでに見たように、老尼は女房たちが語りはじめるのと時を同じくして身をひそめてしまい、その後はただ女房たちの言葉が続く。ただそのときにも、ある女房とべつの女房の発言とをつなぐ役割を果たす、もう一人の語り手が存在しているのである。だからこそ筆者は、老尼が狸寝入りをしていたのではないか、と推測した。しかしいま、久しぶりに登場した老尼は、「目も覚めて」と述べている。つまり、少なくともある時間、老尼は寝入ってしまっていたということになる。では、その間の議論は誰によって記録されたのだろうか? しかも老尼はここでもまた、「つくづくと聞き臥し」と、一度目とまったく同じ言葉を繰り返しながら、改めて狸寝入りをはじめるのである。これはまったく、読者を翻弄しようという老尼の悪戯心であるとしか思えない。
そして、読者の混乱をよそに、女房たちは紫式部についての議論へと戻ってゆく。そう考えると、この突如として挿入された老尼の再登場の場面は、女房たちにとって格別の存在であった紫式部の重要性をより強調するための、小休止のような役割を持っているとも言えるだろう。現に、他の女性たちに対しては努めて冷静な態度を保ち、批判も厭わなかった女房たちだが、こと紫式部に関しては、諸手をあげて誉めるばかりなのである。
紫式部の次は、中宮定子や彰子といった、紫式部や清少納言の使えた高位の女性たちへと話題が移る。最後に名前が出るのは、後冷泉天皇の皇后であった歓子である。女性論の全体を通じて言えることだが、ここでも女房たちの関心を引くのは彼女たちの奥床しさ、審美眼であり、また機知と機転である。女房たちの素性は『無名草子』にとってはどうでもよいことであるが、少なくとも彼女たちが栄華を極めるような位にないことは明らかである。また人間として生れたからにはどうにかして歌の一首でも後世に残したいと思ってはいるが、それも心許なく思っているところからして、とくに才能に溢れているというわけでもない。おまけに女房たちは一貫して、「このようなすばらしい人々がいた時代はもう去ってしまった」という態度を崩さないのである。
このような一種の退歩史観は、『無名草子』全体を覆う末法思想とも縁の深いものであろう。しかしまた女房たちの態度は、いかにも宮廷の女性にふさわしいものであるようにも思われる。例えば『蜻蛉日記』にしても『更級日記』にしても、書き手に共通しているのは諦めに満ちた厭世観であり、自分は決して幸福ではない、という姿勢である。その意味で『無名草子』は、女性の書く日記や物語につきもののエクリチュールを借用して、物語批評や女性批評を行っている、とも言えるわけである。
さてこうして女性論は終わる。すると気まぐれな老尼が、三たび姿を現すのだ。もう私たちは驚かないが、老尼はまたしてもあの言葉を繰り返す。
また、いかなること言はむずらむと聞き臥したるに……
「どういうことを言うのだろうと寝そべったまま聞いていると……」と老尼は、果たして寝ていたのか、起きていたのか、何とも判断のつきかねる独りごとを放つ。だが、紫式部の場合もそうであったように、少なくとも読者は、この次の箇所で何が起こるのか、自分も聞き耳を立てることになる。
そして、次の箇所、すなわち『無名草子』の最後の段落にこそ、このテクストの面白さが凝縮されている。やや長いが引用しよう。
「さのみ、女の沙汰にてのみ夜を明かさせたまふことの、むげに男の交じらざらむこそ、人わろけれ」と言へば、「げに、昔も今も、それはいと聞きどころあり。いみじきこと、いかに多からむ。同じくは、さらば、帝の御上よりこそ言ひ立ちため、『世継』『大鏡』などをご覧ぜよかし。それに過ぎたることは、何事かは申すべき」と言ひながら。
『無名草子』はここで終わる。むろん、原文には句読点がないから、最後の「。」もない。まるで宙ぶらりんの幕切れである。
だが、ここまで『無名草子』を読んできた私たちには、これはテクストが未完であることへの示唆とは映らないだろう。最後の部分の大意をとると、次のようになる。まず一人が、「こんな風に女性のことばかり話して夜を明かしてしまい、まるで男性について触れないというのも、人聞きが悪いでしょうね」と言う。それに対するもう一人の返事はこうである。「たしかに男性についても、昔もいまも、いろいろお話はあるようです。まずは、歴代の帝についてから話をはじめるのが順当でしょうね。でも『世継』や『大鏡』を見ると、それ以上に何かを付け加えることがあるでしょうか」と。そして語り手は「そう言いながら」、と書いたまま、言葉を継ぐことなく、今度は老尼や女房たちともども、完全に、跡形もなく、姿を消してしまうのである。
このようなテクストの幕切れは、いったい何を示唆しているのだろうか。『世継』という書名が何を指すのかについては諸説あるが、仮に『栄花物語』のことであるとすれば、それは『大鏡』と並んで、いわゆる「歴史物語」の最初の二つを意味していることになる。つまり極論すれば、最後の女房の台詞は、「男性については、歴史物語を読めばいいことであって、私たちが話すことなど何もない」という宣言でもあるわけである。これは『無名草子』が「女の論」であることを見事に現わす幕切れなのだ。だが、それだけだろうか? ここには老尼との癒着と遊離を繰り返していた奔放な語り手による、読者への働きかけが隠されていないだろうか?
巨視的にみれば、文学テクストにおける語り手が自由に読者への呼びかけを行うのは、現代的な事象と考えられている。きわめて保守的な見方にしたがえば、本来、文学は出来事の羅列であり、その点では虚構という条件のついた歴史書のようなものであった。だからこそ文学、なかでも物語は、社会的に低い地位に追いやられていたのである。ところが現代に近づくと、やがて文学はテクストが「いま書かれつつある」ということを意識するようになる。つまり、内容以前にそれを「書く」という行為がすでに重要性を帯びているのであって、だからこそ、読者は「読む」という行為を通して積極的にテクストに参入しなければならない。
フランスの小説家、ジャン・ジュネの読者であれば、具体的な例を思い出すことは難しくないだろう。ジュネの小説の語り手は、主人公の「私」を代弁していたかと思うと、次の瞬間には主人公と対峙する人物に乗り移る、というような曲芸をしばしば披露する。それどころか、突然「あなた」と、虚空のこちら側にいる読者に向けて語りかけもする。つまりジュネの作品の語り手は、まさに「書かれつつある」テクストのなかで気ままに人物に寄り添い、また離れ、あまつさえ読者の腕をつかんで書物のなかへ引き込もうとするのである。
現代文学と映像が密接な関係で論じられることを思えば、ここで視覚的な例を出してみるのもいいかもしれない。冒頭の写真の右側は、有名なアメリカ陸軍による兵士募集のポスターである。擬人化されたアメリカである「アンクル・サム」が、「君が軍隊に欲しい」とこちらを指さしている。「君」とは、そのときどきにポスターの前に立っている「読者」である。なお左側にあるのは、「我々は君がほしい」とこちらを指さす英国陸軍大臣キッチナーのポスターである。実はこちらのほうが登場は早く、アメリカの物は「引用」に過ぎない。それだけ、このポスターが効果的であったということだろう。
以上に述べたような語り手による読者への働きかけが現代的なものだという前提は、西洋文学を中心に据え、かつ文学の本質を時代性によって規定できるという利己的な態度によって形成されているものに過ぎない。これまでも「間テクスト性」や「百科辞典」という概念が『無名草子』の理解に役立ったように、老尼の仮面をつけた語り手による積極的な読者への働きかけも、ぜひ考慮すべき『無名草子』の特徴であろう。それを次回のテーマとしたい。
大野ロベルト
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