* カラヴァッジョ「ナルキッソス」1495年頃、国立古典絵画館(ローマ)蔵
「百科辞典」の提出によって世界観をゆるやかに定義した後、女房たちは愛してやまない物語についての議論を開始する。全体の七割を占めるこの部分こそ『無名草子』の中心であり、このテクストが「日本初の物語批評」と呼ばれる所以でもある。
しかし、その議論を仔細に検討することはしないでおこう。簡潔にまとめるには紙幅が足りないし、そもそも、議論そのものは、このテクストの本質と必ずしも深い関係にあるわけではない。以下では、女房たちが言及する物語と、『無名草子』における批評のあり方を、ごく簡単に紹介するに留めたい。
まず、三割ほどの分量を割いて語られるのは、当然と言えば当然かもしれないが、紫式部による『源氏物語』である。「あの方は、『うつほ物語』や『竹取物語』、『住吉物語』のように、わずかな前例しかない時代、いったいどうして『源氏物語』のようなものを書くことができたのでしょうか」と、女房たちはただただ敬服している。「どの巻がいちばんよいだろうか」という問いかけには、「やはり物語の幕開けである『桐壺』でしょう。しかし『帚木』のいわゆる雨夜の品定めの場面も面白いし、『明石』にはよい和歌があるし……」と熱のこもった解説が続く。また、「女性の登場人物では誰がすばらしいでしょうか」との問いには、ある女房は「奥床しい明石の君」と答え、ある女房は「朝顔の宮の意思の強さに打たれる」と答える。
このような調子で、印象に残った登場人物を挙げながら、女房たちはあらすじについて意見を述べたり、その時々の登場人物の心情を、文章の余白から読み説こうとしたりする。主題となるのは続いて男性の登場人物、最も「あはれ」に感じられた場面、心惹かれた場面、可哀想に思われた場面、そして不愉快な場面などである。
以上の、『源氏物語』についての女房たちの議論からは、いくつかの特徴を導き出すことができる。まず、女房たちは、それぞれの意見を明確に述べはするものの、決して他者の意見に対して反証を挙げたり、自説の正しさを証明しようとしたりはしない、ということである。これは一人一人の女房たちが明確な人格を与えられていないからであろうか。実はそうでもない。『無名草子』では、女房たちはきわめて緩やかに、かつ曖昧にではあるが、それぞれに異なる役割を持っていると思われる節もあるのだ。例えば『源氏物語』の箇所の冒頭では、一人の女房がこんなことを言っている。「いまだ見はべらぬこそ口惜しけれ。かれを語らせたまへかし」すなわち、「残念ながらまだ読んでいないのです。お話しになってください」と。
確かに『源氏物語』は、当時から最大の作品と見なされていた。しかし、いくら宮廷の限られた人々だけが文学を楽しんでいた時代とはいえ、全員が早くからそれに親しんでいるわけではない。つまり『無名草子』の女房たちはその不思議なふんいきとは裏腹にごく普通の人々であるので、そのなかにはまだ若く、読書経験の浅い者もいる。反対に『源氏物語』についての議論を牽引した女房は、すこし年嵩なのだろう。彼女は長々と話した後で、最後にこう述べる。「これは、ただ片端ばかりなれば、いとなかなかにおぼされぬべし」と。「いまはほんの一部について語っただけなので、かえって中途半端で、聞かなければよかったと思うかもしれませんね」ということである。
とはいえ、話し好きの女房たちは、その後も物語批評を続ける。対象となるのは、『狭衣物語』や『夜の寝覚』など、およそ二十の物語である。これらに関しては、女房たちは『源氏物語』に対するほど寛大ではなく、『夜の寝覚』については「まあ、これといって優れたところがあるわけでもないが」と厳しい前提を設けるし、『浜松中納言物語』については、「日本と唐土とがあんまりごっちゃになっていて、説得力がない」と冷静な評価を下している。なお、この辺りは史料としても重要で、『玉藻』や『とりかへばや』と言った散逸物語も多く取り上げられているので、現代の読者にとってはそれらの片鱗を窺い知る貴重な機会となるだろう。
さて、『無名草子』の中枢であるこの箇所を一読していっそう明らかになるのが、当時の「モデル読者」としての女房たちの姿である。前回エーコの用語から拝借した「百科辞典」という概念においては、この「モデル読者」の存在も重要である。テクストの書き手は、特定の読者を想定している。その想定は、多層的であってもよい。例えば、推理小説であれば、幅広い読者にわかりやすい文体や、論理的な筋立てが求められる。しかし、すでに多くの推理小説を読んでいる読者や、作品が取り扱っている主題についての知識を持っている読者だけにわかるような表徴を織り込むことで、一部の読者に対してより強く訴えかける、というようなことが可能になる。いわゆるアンチ・ミステリーの類などは、その最たるものだろう。単純な推理小説を期待していた読者は、推理小説の「型」そのものが崩されてゆくにしたがって脱落せざるを得ない。豊富な経験を積み、内容にかかわらず類型的な「型」を理解している読者だけが、それが崩されているという事実を楽しむ余裕を持つのだ。
現代においては、「モデル読者」は多様を極めている。それぞれの読者が育った環境も、受けた教育も、受容してきたテクストの傾向もばらばらであり、さらにはそれらによって涵養された嗜好も様々である。だが、『無名草子』の時代に限定してみるならば、「モデル読者」の像はかなり限られたものであったと言ってよい。公人としての立場に差こそあれ、宮廷に所属しつつ文学に親しんでいた当時の人々は、かなり似通った文学環境に置かれていた。それは『古今和歌集』以降の和歌の蓄積が豊かにした美意識が底流としてあり、遺産として『万葉集』時代の古い歌があり、その先に『伊勢物語』などの歌物語や、『枕草子』などの随想、そして『源氏物語』のような作り物語が展開してきた世界であり、そこでは大陸の経典も存在感を放っている。要するに、先の若い女房のように「まだ読んでいない」という状況はあっても、「聞いたこともない」だとか、「私だけが知っている」というような状況は、当時の読者には無縁であったと言って大過ないのである。
さてここで、私たちは『無名草子』の外に出なければならない。というのも、「モデル読者」としての女房たちの存在は、他ならぬ『無名草子』の読者の姿とも重なるからだ。
『無名草子』の読者はどのような人々であったか。一言で片づけてしまえば、それはまさに『無名草子』に登場する女房たちのような人々であっただろう。もとより女房たちは、ちょっとした仕事の隙に顔を合わせると、近頃読んだ物語や感銘を受けた和歌などについて、情報交換を怠らなかったに違いない。もちろん、ただ読書について意見をやりとりした、というだけのことではないだろう。そこには彼女たち自身や、あるいは彼女たちが仕えている高位の女性たちの恋愛事情とも重ね合わされていたはずである。平安から鎌倉時代にかけての文学ほど現実でのコミュニケーションを如実に反映しているものは多くない。詩人たちの恋が文学を作りあげたのなら、それが読者の恋愛を刺激しないわけがあるだろうか。西洋であれば十七世紀頃になってようやく盛んになるサロン的な文化が、日本ではすでに爛熟をきわめていた。誤解を恐れずに言えば、当時の文学にはゴシップとしての側面も少なからずあったのだ。
邸の一郭、几帳の陰で、女房たちが『無名草子』をひもといている。彼女たちはそこに、自分たちと同じような読書経験を積んだ女房たちが、自分たちもよく知っている(あるいは知ってはいるがまだ読んでいない)物語について、様々な意見を述べているのを見出だす。すると次に起こることは当然、予想することができる。今度は読者である彼女たちが、「ところで私はこう思う」というように、自発的に議論をはじめるのである。つまり『無名草子』は物語批評の書であると同時に、さらなる物語批評の入口ともなるテクストなのだ。
今回あげた写真は、カラヴァッジョの「ナルキッソス」と題する作品である。周知の通り、ナルキッソスは不世出の美男子で、自らの美しさを誇るあまり、言い寄る女性たちを軽蔑していた。この傲慢をよく思わなかった女神ネメシスによって泉に引き寄せられたナルキッソスは、水面に映る人物(自分であるとは気づいていない)の美しさに囚われ、一歩も離れることができなくなり、そのまま死んでしまうのである。この神話は、もちろんナルシシズムの由来としてつとに有名だが、より文学的な文脈に当てはめてみることもできるだろう。つまり『無名草子』を読む女房たちは、その書面に理想の読者の姿を認め、それが自分たちの姿とも重なり合うことを意識しながら、熱心に読みふけることになるわけである。もっと広く言えば、この神話の泉は文学における自己言及性の象徴である。そして自らの姿をよく知っている「モデル読者」は、いつでもナルキッソスに成りおおせる可能性を有している。
ところで、もちろん、男性たちも『無名草子』は読んだに違いない。あるいは『無名草子』の女房たちの姿や、『無名草子』を読む生身の女房たちの様子を垣間見しながら、こんど贈る和歌の内容について計算を張り巡らせていた、などという状況も推測できる。いずれにせよ彼らも、女房たちときわめて近い読書経験を持っていたことは間違いないだろう。この時代の文学においては、性差はさほど大きな意味を持たないはずなのである。ところが『無名草子』に限っては、これがもう一つの大きな問題となる。何故なら『無名草子』には、女の、女による、女のためのテクスト、という側面が確かにあり、あたかも男性を締め出そうとするかのように思える節があるからである。
大野ロベルト
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