Ⅰ 書
大野露井
収穫の時だ。私は罌粟の畑で本を摘んでいる。
最も暑い時間、茎から捻じきれた書物は断末
魔のような煙を撒き散らす。私はくしゃみを
するのだが、正気にもどったつもりで幻惑の
中にいる。煙を吸ったのだ。裸になった茎の
先はひょろひょろ熱風にゆらいでいる。ちぎ
ればそのまま栞になる。私にはこれが必要だ。
栞は入場券であり切符なのだ。私は劇場のは
しごをしなければならない、それに列車を乗
り換えたり、ときには図書館から家へ、家か
ら書店へ、書店から言葉へと移動しなければ
ならない。足枷が重く、手枷が邪魔なので、
もう道程をあきらめてしまってもよいのだ。
誰も文句は言わないどころか、むしろ警戒を
とくのかもしれない。そしてただ収穫したも
のを穀物倉庫へと運び、品質をたしかめ、熟
成させた後に売ったり取り替えたりしてもよ
いのだ(それが私の父方の家業だった)。商
売が軌道にのれば、またいずれ倒錯へ扉が開
かれることもあるだろう。書豚、書狼、書痴
というあのくすぐったい階段を昇ってみるの
も悪くはないのかもしれない。だが私は結局、
書物を収穫したときは必ずその茎も根こそぎ
抜いてしまわなければ気がすまないのだ。何
故なら茎ほど鞭に適したものはないから……。
もしこの畑仕事がもたらすものを知性と呼ん
でよいのなら―私は自らの知性で鞭打たれ
る痴れ者でありたい。灼熱の沃土で、半ば落
ちかけた顎から常に涎を垂らして、ときおり
様子を見にくるお前を溶かしてしまいたい。
お前の痕跡には、めくるめく比喩と、落ち着
きのない句読点と、骨になってなお謎めいた
いくつもの記号が浮かぶだろう。「あの図書
館にお前を陳列したいんだ」「そうして陽に
灼けて色あせてゆくんですね」「大丈夫、厚
手の窓掛けを用意すると約束しよう」こんな
やりとりが思い出になっている。私はそこに
浸っていたいのだ、熱い血潮と考えていたも
のが実は黒やセピアや群青のインクで、肌が
万年筆の先で傷つくたびに流れ出ては、焼鏝
で固定された活字を羨んでいるということに
気づいてしまうそのときまで。だが労働を続
けなければならない。怠慢という名の紙魚が
涌き、せっかく乾いた頁に牙を立てて、すっ
かり夏の病葉のようにしてしまわないように。
ああ、それでも、今日はもうよそう。すっか
り夜中だ。もう摘み取った本を読むための灯
りはどこにもない。光っているのは私の眼だ
けだ。茎の鞭をぶらさげて帰ろう。―私は
自らの知性で鞭打たれる痴れ者でありたい。
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